<東京黎明アートルーム>特別展 良寛の書簡 (2)―貞心尼・友人編
ページID:111068063
更新日:2025年12月23日
女性との交流を展示するコーナー。良寛ゆかりの品も展示されている。
貞心尼との交流
浄土宗の尼僧・貞心尼(ていしんに)が、良寛が晩年を過ごした島崎(長岡市)・木村家の草庵を初めて訪ねたのは貞心尼30歳、良寛70歳のこと。良寛は貞心尼を弟子として導き、心の深いところでの絆を育くみました。
文学的な才能にも秀でていた貞心尼は、良寛亡き後に自筆歌集『はちすの露』を編纂し、良寛と唱和した和歌や良寛の略歴、「戒話」九十ヶ条を後世へ伝えています。
「うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ―良寛」
良寛が貞心尼の前でよく口ずさんでいたものとして『はちすの露』に載せられた有名な一句です。(本展では展示されていませんが)二人の関係性を象徴する歌として知られています。
書簡 貞心尼宛『先日は眼病の』良寛(江戸時代 19世紀)
貞心尼が庵主を務める福島(長岡市)の草案・閻魔堂(えんまどう)へ足を運ぶ約束をしていた良寛。しかし、腹痛や足のだるさから訪問を断念したことを伝えています。美しい手紙には和歌が添えられ、貞心尼への愛情の深さがうかがえます。
「秋はぎの花のさかりもすぎにけり ちぎりしこともまだとげなくに―良寛」
~秋萩の花は盛りをすぎてしまった あなたとのお約束もまだ果たせていないというのに~
この手紙を書いた翌年、良寛は貞心尼と由之、木村家夫妻に見守られて74歳の生涯を閉じました。
短冊 和歌『みをつくし』貞心尼/短冊 和歌『いつしかと』貞心尼(江戸時代 19世紀)(写真は画面表示のために遠近デジタル処理をしています)
本展では貞心尼の遺墨も展示されています。
短冊『みをつくし』は、貞心尼の晩年の作品と思われ、良寛が手本とした『秋萩帖』風の力強く美しいかなで綴られています。初句の「みをつくし」は「身を尽くす」と「澪標(みおつくし=航路標識)」の掛詞。葦の根のように短い人生を、悩んで過ごさないようにと自らを戒める歌です。百人一首の「難波江の葦のかりねのひとよゆゑ身をつくしてや恋ひわたるべき」を踏まえており、貞心尼の深い古典教養がうかがえます。
短冊『いつしかと』では、ほととぎすの鳴き声を聞きたいと思い続けていると、夢か現実かはっきりしないまま今朝一声聞こえた、と詠んでいます。貞心尼の和歌では「ほととぎすの鳴き声」はしばしば悟りを開く象徴として詠まれており、良寛の導きによるものと考えられています。
阿部定珍との交流
書簡 定珍宛『わがやどの』良寛(江戸時代 19世紀)
阿部定珍(さだよし)は分水町渡部(燕市)で酒造業を営む庄屋で、良寛の有力な庇護者でした。
定珍は和歌や漢文を好み、良寛より21歳年下でしたが、良寛の住んでいた国上山の中腹にある五合庵(ごごうあん)をよく訪ね、酒を酌み交わしながら歌や詩を詠みあうなど親しくしていたといいます。良寛も春一番に阿部家を訪ねるなど、お互いの往来を楽しみにしていたようです。
こちらは草仮名の横に漢字を書き添えた手紙。長歌と反歌二首がしたためられています。良寛が五合庵時代に手本としたという『秋萩帖』を思わせる優美な筆致で、五合庵からふもとへと下った乙子神社(おとごじんじゃ)草庵時代のものと考えられています。
参考資料『秋萩帖』※1の法帖(ほうじょう)
※1国宝。平安時代に書かれた草仮名の書物
書簡 定珍宛『野僧もこの冬』良寛(江戸時代 19世紀)
この手紙では、良寛が約30年にわたって住んだ国上山(くがみやま)を下り、島崎村(長岡市)の木村元右衛門邸内の庵に移ったことを伝えています。
阿部家へのお礼状は良寛の書簡の中で最も多く遺されており、阿部家所蔵の良寛遺墨は国の重要文化財に指定されています。
三峰館時代の学友との交流
良寛は少年時代、儒学者・大森子陽(しよう)の学塾・三峰館(さんぽうかん)で漢学・漢詩を学びました。地蔵堂(燕市)にあった塾へは、親戚である中村家へ下宿して通学。ここで出会った学友たちとは、生涯にわたる交流が続きました。
書簡 鵲斎宛『此四月十六日』良寛(江戸時代 19世紀)
原田鵲斎(じゃくさい・1763-1827)は分水町中島(新潟県燕市)の医師で、三峰館時代からの学友です。
この手紙は、良寛59歳の時に書かれたもの。阿部定珍から知らされた国学者・歌人の大村光枝の訃報を、鵲斎へ伝えています。
光枝は良寛44歳の頃、原田鵲斎・阿部定珍とともに五合庵を来訪。文学的教養に恵まれていた良寛の家族や親戚とも親交がありました。この出会いの後、良寛は万葉集の世界に傾倒していったといわれています。
参考資料『万葉集略解(まんようしゅうりゃくげ)』
良寛は阿部定珍が所蔵していた『万葉和歌集』に注釈を入れる作業を頼まれ、この『万葉集略解』(30巻・橘千蔭刊)を参考にしました。親友・三輪佐一の姪である維馨尼(いきょうに)を介して、与板の廻船問屋・三輪権平から借り受けたものです。
書簡 解良氏宛『先日草庵へ』良寛(江戸時代 19世紀)
分水町牧ケ花(燕市)の庄屋であり庇護者であった解良(げら)家へ宛てた手紙。
解良家の中でも特に親交の深かった叔問(しゅくもん 1765-1819)は、良寛の良き理解者でもありました。良寛は叔問を「当代一の善人」と評しています。
この書簡は、叔問が亡くなった半年後、良寛68歳頃に解良家へ送られたもの。風邪をひいて髪が伸び、庵(乙子神社草庵)に閉じこもっていることが記されています。また、叔問が信仰していた『法華経』を書写して差し上げるが、筆に力が入らなかったことを詫びる言葉も添えられています。
つづきは良寛の書簡特別展レポート<地域の絆編>へ!
ここまで、東京黎明アートルームで開催中の良寛の書簡特別展レポート<貞心尼・友人編>をご覧いただきました。最終編では、良寛が生涯をかけて体現した「心の豊かさ」の本質に迫ります。
ナカノ観光レポーター「Kana Naka」がお届けしました。
東京黎明アートルーム
《特別展 良寛の書簡》
開室期間:2025年12月25日(木曜)まで
休室日:12月23日(火曜)
開館時間:10時00分~16時00分
※最終入室は15時30分
入室料金:一般 800円(20歳未満は無料)
※障害者手帳をお持ちの方及び介護者の方は400円引き
※20歳未満の方は年齢を確認させていただく場合がございますので、年齢のわかるものをご用意下さい。
所在地:東京都中野区東中野2-10-13
アクセス:JR 東中野駅徒歩7分/都営大江戸線 東中野駅徒歩約7分/東京メトロ 東西線 落合駅徒歩約14分/丸の内線 中野坂上駅徒歩約13分
電話:03-3369-1868
ホームページ:
http://www.museum-art.torek.jp/index.html(外部サイト)
X:
https://x.com/torek_museum(外部サイト)
Instagram:
https://www.instagram.com/torek_museum/(外部サイト)
「Kana Naka」さんのその他の記事はこちらです
お問い合わせ
このページは区民部 文化振興・多文化共生推進課が担当しています。
