サダコの折り鶴

ページID:544988774

更新日:2023年11月29日

中野区は、令和2(2020)年11月22日に、特定非営利活動法人SADAKO LEGACYより貴重な平和資料である「サダコの折り鶴」を貸与いただきました。
折り鶴は、中野区平和資料展示室に常設展示しています。

サダコの折り鶴
(貸与を受けたサダコの折り鶴)

貸与式
(貸与式)


サダコの折り鶴とは

広島で2歳のときに被爆した佐々木禎子さんが病床で折り続けた鶴です。

禎子さんは、被爆から10年後の小学6年生のときに白血病と診断され、広島の病院に入院しました。千羽鶴がお見舞いに贈られたことをきっかけに「生きたい」という願いを込めて、薬包紙やお見舞いの品の包装紙等で1,300羽以上の鶴を折りました。しかし、8か月の闘病生活の末、家族が見守る中、禎子さんは息を引き取りました。
その後、禎子さんが亡くなったことを知った同級生たちが中心となって、「その悲しみを忘れないことと平和への願いを世界に」という思いのもと、原爆でなくなった子どもたちの霊を慰め、平和を築くための像をつくろうという運動が始まり、昭和33(1958)年5月5日、広島平和記念公園に「原爆の子の像」が建立されました。

病気と闘い、懸命に生きようとした禎子さんの物語は、広島の悲劇の象徴として、日本のみならず、世界でも広く語り継がれています。また、折り鶴は平和のシンボルとして、多くの国で平和を願って折られるようになり、「原爆の子の像」には日本国内をはじめ、世界中から今もたくさんの折り鶴が捧げられています。

禎子さん(1955年7月)
(佐々木禎子さん(1955年7月広島赤十字病院にて))

除幕式
(「原爆の子の像」除幕式(1958年5月))


展示中の折り鶴とパネル

中野区に貸与いただいた折り鶴は、黄色い模様が入ったセロハン紙で折られた幅3cm、高さ1.5cm程の大変小さな鶴です。
折り鶴は、広島の原爆被害や、禎子さんの生涯を紹介したパネルとともに、中野区平和資料展示室に展示していますので、ぜひご覧ください。

展示中の折り鶴
(展示資料:サダコの折り鶴)

広島・長崎への原爆投下
(展示パネル:広島・長崎への原爆投下)


サダコの折り鶴に係るパネル
(展示パネル:禎子の折り鶴)


関連情報

お問い合わせ

このページは企画部 企画課が担当しています。

本文ここまで

サブナビゲーションここから