学童疎開

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更新日:2023年8月3日

中野区の学童疎開

「戦場となってしまった都市は、もはや子どもたちにとっては、安全な生活の場ではなくなった。
空襲の心配のない農村地帯に向けて子どもたちの集団大移動が始まったのは、19年の晩夏であった。翌年には、中野の子どもたちの姿は、ほとんど見られなくなる。
親元を離れ、慣れない土地で厳しい集団規制生活を強いられている子どもたち。」
※中野区発行 「中野の戦災記録写真集」より

中野区は長野県・福島県に

中野区では8月初旬に区長と校長と後援会長(奉仕会長)が協議して、区南部の各国民学校は長野県へ、区北部の各国民学校は福島県へと割り当てられました。

  • 昭和19年8月末から~9月 第1次集団疎開(国民学校学童の3~6年生まで約7,800人)
  • 昭和20年3月 6年生が卒業のため帰京(福島県より1,165人、長野県より1,081人 )
  • 昭和20年3月末 第2次集団疎開(新1~3年生)
  • 昭和20年4月~7月 第3次集団疎開 

学童疎開実施結果調べ

「中野の戦災記録写真集」を発行後に、疎開先等の判明や修正があった場合は、下表を修正しています。
2023年2月14日現在

福島県への疎開
学校名疎開地
( )内は児童数
宿舎疎開先学校疎開期間
( )内は再疎開した年月日

桃園第ニ小
(508)


(再疎開)
(204)

石城郡 大野村 (369)金波旅館、玉山湯ノ口、玉屋、石屋旅館、藤屋大野第一小昭和19年8月28日日~昭和20年10月21日
昭和20年5月 南会津田島へ再疎開
夏井村(90)専称寺夏井小昭和19年8月28日
平市(49)ときわ亭等平第四小、平第一小昭和19年8月28日~
昭和20年3月 南会津田島へ再疎開
耶麻郡 翁島村(69)   
南会津郡 楢原町(51)   
田島町(84)  4・5年生

野方小

(338)


(再疎開)

伊達郡 飯坂町(127) 大芳寺、定龍寺、歓喜寺、無能寺、伝来寺、法円寺飯坂小3~4年生

5年生

6年生
半田町(66)半田醸芳小
桑折町(145)醸芳小
睦合村、伊達町 
江古田小
(519)
岩瀬郡 須賀川町(210)長禄寺 第一尚和寮(80)、長松院 第二尚和寮(90)、勝誓寺 第三尚和寮(40)須賀川小昭和19年9月1日~20月10月29
女 20年2月 6年生帰京
男 20年3月10日 6年生帰京
昭和20年3月26日 第2次疎開児出発
昭和20年4月26日 第3次疎開児出発
昭和20年7月 第4次疎開児出発 
田村郡 三春町(232)龍音寺、紫雲寺、他(寺院1、旅館2)三春町小
御館町(72)  男女

鷺宮小

(280)

(再疎開)

石川郡浅川町(70)染谷旅館、白河屋旅館、平野屋旅館浅川小昭和19年9月2日~20年10月20日
東白川郡竹貫村(77)龍台寺、山田屋旅館、辰巳屋旅館田口小
石川郡石川町(133)井筒屋、西田屋  
東白川郡塙町賢瑞院 昭和20年5月30日~昭和20年11月3日
石川郡浅川町  

東中野小

(301)

箕輪村  

昭和19年8日~昭和20年5月

戦災により全焼し復旧せず廃校(現在の東中野小とは別)

上高田小

(425)



(再疎開)

双葉郡 富岡町(90)亀屋旅館、大東館富岡第一小昭和19年8月31日~20年10月21日
昭和20年6月23日川沼郡野沢町へ再疎開
広野町(90)若松屋(35)、仲屋旅館(25)、鶴屋旅館(30)広野小 
浪江町(157)   
久之浜町、大久村(88)石川屋、田村屋久之浜小筒木原分校 
川沼郡野沢町ほてい屋等 昭和20年6月23日~20年10月21日

啓明小

(573)










(再疎開)

石城郡 湯本町松柏館、蔦本旅館、つたや旅館、昭和館、山形屋、佐乃屋、吹の湯、谷の湯湯本小昭和19年8月28日~(20年6月24日)
6月24日高田町、本郷町、新鶴町、尾岐村へ再疎開
昭和20年4月26第2次疎開児出発
大沼郡高田町、本郷町  昭和20年6月24日~20年10月2日
高田町1・2年、本郷町3年男女、5年女、尾岐村6年男、新鶴町、6年女、5年男
新鶴町、尾岐村  

新井小

(430)

(再疎開)

石城郡 植田町(239) 植田小昭和19年9月1日~
勿来町(91)   
泉町(53)   
磐崎村(47)   
耶麻郡 吾妻村 中ノ沢西村屋、花之屋  

北原小

(381)

(再疎開)

石城郡 磐崎村(167)  昭和19年8日~(20年5月)
昭和20年5月 河沼郡根津町へ再疎開
江名町(214)かげの湯江名小 
小名浜町   
河沼郡 根津町   
大沼郡西方村、宮下村   

大和小

(348)

(再疎開)

福島県 安達郡 小浜町(179) 小浜町昭和19年9月4日から小浜大火のため油井へ再疎開
安達郡 油井村(70)大谷屋 第5学寮(50)、伊藤酒店、西川屋(第6学寮)、松屋、相川屋 第7学寮(13) 1・3・4年
信夫郡 信夫村   
水保(99)   
保原町桂沢(70)   
油井村  6年生民家への分散宿泊
長野県等への疎開
学校名疎開地
( )内は児童数
宿舎疎開先学校疎開期間
( )内は再疎開した年月日

桃園小

(318)

上伊那郡 伊那富村長久寺(58)2、明光寺
〇は職員数
伊那富小昭和19年8月23日~20年11月20日
3年男女 昭和20年4月12日第2次

6年 昭和20年2月18日 卒業のため帰校
三義村山室鉱泉・元湯旅館(男55)<1>、矢島旅館(女43)<2> 
高遠町建福寺(5女43)、満光寺(4女30)<1>、桂泉院(4男22)、峯山寺(3男17)<1>、蓮華寺(5男50)<1> 
美和村(50)常福寺美和小昭和20年4月7日 第2次疎開76人
伊那里村(50)円通寺伊那里小昭和20年 第3次疎開16人

桃園第三小

(521)

東箕輪村(98)長松寺(59)、普済寺(39)、無量寺(78) 昭和19年8月23日~20年11月12日
昭和20年3月 6年生帰校
中箕輪村(272)嶺頭院(72)、養恭寺(39)、明音寺(80) 昭和20年4月 第2次疎開
箕輪村(53)澄心寺(54)  
美篶村(51)吉祥寺(51)<2>美篶小3~6年生
東春近村(47)光久寺(48)東春近小昭和20年 第3次疎開59人

神明小

(474)

諏訪市 上諏訪吉田屋別館、吉野屋、大和屋、寿、山田屋、小島屋、玉川館、山本屋 昭和19年8月23日~20年11日
南佐久郡  昭和20年4月 第2次疎開
昭和20年6月 第3次疎開

谷戸小

(396)

諏訪市 上諏訪桔梗屋等高島小昭和19年8月28日~20年11月17日
昭和20年2月23日 6年生帰校
中州村(174) 中州小
宮川村(88)大和館宮川小昭和19年8月28日~20年11月11日
3・4年男女

本郷小

(462)

(再疎開)

諏訪市 上諏訪町富貴の湯旅館、竹ノ湯旅館、諏訪旅館、喜楽館、高栄寺、善光寺高島小昭和19年8月29日~(20年3月)~20年11月15日
昭和20年1月 第2次疎開
本郷村、湖南村湖南小

新山小

(265)

諏訪市 上諏訪龍東館等高島小昭和19年8月~20年11月
昭和20年2月25日 6年生帰京
戦災により全焼廃校。(現在の新山小とは別)

塔山小

(420)

諏訪市 下諏訪町(205)菊本、中川、みなと屋、富ヶ丘 昭和19年8月28日~20年11月6日
3・5年 昭和20月4月25日 第2次疎開(1・2年)
昭和20年2月13日 6年生帰京、
昭和20年4月2日 新6年生下諏訪より
長地村平福寺(4年92)、神の湯(6年126)長地小昭和19年8月28日~20年11月23日

向台小

(240)

(再疎開)

岡谷市千鳥園(91)、照光寺(46)、立正閣(48)小井川小、岡谷小昭和19年8月23日~
千鳥園、照光寺の児童80人、横川の公会堂へ再疎開(長地小へ)
川岸村昌福寺(53)中央小、田中小 
長地村横川公会堂 (昭和20年7月31日)~20年11月7日

仲町小

(371)

片丘崖湯  昭和19年8月28日~20年11月9日

多田小

(173)

上伊那郡 赤穂町農業会館(100)、竹島屋(32)、北沢館(第2次45)、下平一心館、倶楽部赤穂小昭和19年8月23日~20年10月
昭和20年4月24日 第2次疎開
山梨県恵林寺(71) 桃園小(男20・女5)・多田小等

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