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最終更新日 2019年8月1日
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戦時学園疎開

過去に展示したパネル・実物資料

「戦時学園疎開」

パネル画像 説明
戦時疎開学園 戦時学園疎開 山梨県 恵林寺
現地での生活状況

東京都中野区 戦時学園疎開について

現地での生活状況

寮歌 恵林寺戦時疎開学園寮歌
一日午前

中野区(恵林寺)疎開学園の普通の一日

午前

一日午後

中野区(恵林寺)疎開学園の普通の一日

午後

食事の記録 食事の記録(実例)
何を食べていたか 私たちは何を食べていたか(主なもの)
おやつ 「お八つ」に何を食べていたか

 疎開中にかいたはがき

お父さんが疎開中の娘に書いたはがき
疎開中にかいたはがき(訳) お父さんが疎開中の娘に書いたはがき(訳)
姪に書いたはがき 叔母さんが疎開中の姪に書いたはがき
姪に書いたはがき(訳) 叔母さんが疎開中の姪に書いたはがき(訳)
疎開出発

山梨県恵林寺へ疎開出発

新宿駅西口集合(昭和19年6月26日)

5年生男子 疎開学園5年生男子
学童全員 恵林寺学童全員(昭和19年秋)
鐘撞堂

恵林寺の鐘撞き堂

当時 国民学校4年杉村(現姓 植本)

実物資料画像 説明
目覚まし時計

中野の空襲を受けた目覚まし時計

中野の空襲(1945(昭和20)年5月)の際、中野区本町2丁目(当時の朝日ケ丘)で発見された。硝子が溶けて、針は12時近くをさしたまま文字盤に溶けついている。

作家 早乙女勝元氏より寄贈

ガラス

焼夷弾によって溶かされたガラス

1944(昭和19)年現在の中野区上高田5丁目に落ちた焼夷弾によるもので遠藤山遺跡より出土

双眼鏡

警防団が使用した双眼鏡

空襲警報の時、警防団(防護団と消防組が一緒になったもの)がこの双眼鏡で「B29」を見張っていた。

上高田 原田義武氏より寄贈

水筒

アルミ製(左)と陶製(右)の水筒

鉄や銅などの金属製の家庭用品は兵器の生産に使われるために国に差し出され、陶製やアルミ製のものが作られました。

罹災証明書

罹災証明書

空襲によって焼けた証明。配給を受ける時、駅で切符を購入する時、銀行で手続きをする時等、この証明書が必要だった。この証明書があると、優先的に列車に乗せてもらえたりした。

松ヶ丘 伊藤氏、若宮 川瀬竹次郎氏より寄贈

衣料切符

衣料切符

統制の始まり。1938(昭和13)年には国家総動員法が施行され、政府は議会の承認なしに、国民生活を統制できるようになった。政府は米をはじめ、砂糖やマッチ、衣料などの食料や日用品を、政府が発行する手帳や切符がなければ買えなくするなどの統制を行い、国民の生活は大変苦しいものとなりました。戦争のための軍事物資の生産が優先され、食料品や生活用品などの製造、販売が切符制になりました。

東中野 栗田よね江氏より寄贈

国債

国債

昭和13年から国民貯蓄奨励運動が実施され、貯蓄の奨励が始まった。集められた資金は軍需会社への融資や国債の引き受けにあてられた。国債の売り出しは、昭和12年11月から始まり、昭和16年11月まで26回実施され、累計で約20億円に達した。町会に割当てが課され、国民に強制された。

本町 御子柴いな子氏、沼袋 小野武氏より寄贈

従軍証明書

従軍証明書

陸軍気象部に従事している証明書

新井 林とし子氏より寄贈

旅行証明書

旅行証明書

陸軍軍属の時、「緊急公務のため」に昭和20年8月12~13日にでた旅行証明書

新井 林とし子氏より寄贈

罹災証明書

罹災証明書

昭和20年5月25日、中野の空襲の罹災証明書

新井 林とし子氏より寄贈

国債

国債

沼袋 小野武氏より寄贈

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