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最終更新日 2014年11月27日
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なかの物語 其の四 中野長者伝説を御存じですか?

中野長者伝説を御存じですか?

今は昔、応永の頃(1394~1427)、紀州熊野から鈴木九郎という若者が中野にやってきました。九郎はある日、総州葛西に馬を売りにいきましたところ、高値で売れました。信心深い九郎は仏様の功徳と感謝して、得たお金はすべて浅草観音に奉納しました。

さて、中野の家に帰ってみたところ、我があばら家は黄金に満ちていたのです。観音様のごほうびでした。それから九郎の運は向き、やがて「中野長者」と呼ばれるお金持ちになりました。その後、故郷の熊野神社を移して熊野十二社を建てたり、信心深い生活は続いていました。ところが、あふれる金銀財宝が屋敷に置ききれなくなった頃、九郎に邪念が生じたのです。

金銀財宝を隠そうと人を使って運ばせて、帰りにその人を亡き者にするという悪業を働きはじめたのです。村人たちは、「淀橋」を渡って出掛けるけれど、帰りはいつも長者一人だということから、いつしかこの橋を「姿見ず橋」と呼ぶようになりました。

しかし、悪が栄えるためしなし、やがて九郎に罰があたります。九郎の美しい一人娘が婚礼の夜、暴風雨とともに蛇に化身して熊野十二社の池に飛び込んでしまったのです。九郎は相州最乗寺から高僧を呼び、祈りを捧げました。すると暴風雨はおさまり、池から蛇が姿を現し、たちまち娘に戻りましたが、にわかに湧いた紫の雲に乗って天に昇っていってしまったのです。以来、娘の姿は二度とこの世に現れることはなくなったのです。

九郎は嘆き悲しみ、深く反省して僧になりました。そして、自分の屋敷に正歓寺を建て、また、七つの塔を建てて、娘の菩提を弔い、再び、つましく、信心深い生活に戻りました。めでたし、めでたし・・・

成願寺の写真
仲の長者の寺 多宝山 成願寺(じょうがんじ)

という、物語です。熊野十二社は、現在の新宿公園のとなりにある熊野神社、十二社の池は昭和30年代頃まで残っていたそうです。姿見ず橋は現在の淀橋、正観寺は本町の成願寺です。七つの塔はありませんが、空襲で焼失した区立第十中学校にあった三重塔がそれにあたるとされています。九郎が金銀を隠したところは近くでは十貫坂、遠くでは武蔵小金井、千葉県の小金といわれています。相州最乗寺は大雄山道了尊とも呼ばれ、神奈川県足柄の名刹です。

成願寺の写真
成願寺は中野坂上駅から徒歩3分のところです。

ところで、淀橋つまり姿見ず橋は、大正時代まで縁起の悪い橋とされ、婚礼などのめでたいことには絶対使われることはありませんでした。大正2年、土地の旧家浅田氏が親族の婚礼のときに、民俗学者柳田国男に講演をお願いするなど盛大な浄め式を行いました。これは「淀橋の迷信打破」と称され、新聞などに報道され広く話題を呼んだそうです。

お時間のあるとき、伝説めぐりはいかがですか?見慣れた景色も、このような伝説を思いながら歩くと、また違った味わいが・・アルカナ?

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