第9回 これからの中野の教育検討会議 会議要旨

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更新日:2023年8月3日

開催日時 平成22年2月9日(火曜日)午後7時~午後9時8分
開催場所 中野区役所 教育委員会室
出席者委員葉養正明、藤井穂高、伊藤亜矢子、西村彰史、長谷川嘉昭、大野道高、桜井多加子、金沢美代子、髙木基行、野呂文広、牧井直文、竹内沖司、寺嶋誠一郎、喜名朝博、合川昭、吉村恒治 (敬称略、順不同)
事務局企画財政担当、学校再編担当、統括指導主事
傍聴者7人
 会議次第

【議事】
1 検討会議のまとめについて

2 その他


1 議事

◆議事(1)検討会議のまとめについて

 資料1「これからの中野の教育検討会議の検討状況【修正版3】」により説明。

会長
 本日は「第3章4の特別支援教育の充実」と「第4章新たな取り組みの提案」を中心に協議をお願いしたい。
 その前に、全般的に気づいた点等ないか。前回流れがよく見えないといった意見があって、少し修正をしている。
 12ページからの「第3章地域に根ざした質の高い公教育へ」の中に「1これからの中野の教育に求められること」が書かれており、13ページに「2連携教育と小中一貫カリキュラム」18ページに「3学校と地域との連携」が書かれている。20ページに「4特別支援教育の充実」があって、この第3章が構成されている。特に2は「連携から小中一貫教育へ」となっていたが、「連携教育と小中一貫カリキュラム」に修正されている。
 小中一貫教育というと、品川区の日野学園や八潮学園、伊藤学園といった施設一体型の小中一貫校をつくるというイメージがどうしても強く、どういう構想なのかという感じもあったので、教育指導や教育内容等のカリキュラムを連携したり、一貫にしたりということで考えていったらどうかということで修正されている。まず、この辺についてはいかがか。

委員
 今まで小中一貫教育というと今の会長の話のとおり、施設一体型というイメージがどうしても強かった。それが「カリキュラム」という文言になったことで、違う考え方でいいと思えるようになった。これまでの議論においても、小中一貫教育ということがとても際立っていたが、文言を修正したことでだいぶ違う印象になった。

会長
 私は小中一貫カリキュラム構想というと、また何か形があるような感じがするので、カリキュラムの前に「の」を入れたらどうかと思う。表題にしても、何か固まったイメージがあって、そこに向かって皆で一斉に目指して行こうというイメージにとられてしまったりする。

委員
 12ページの「これからの中野の教育に求められること」で「学力・体力の向上」が一くくりで、2番目に「学校生活への不適応児童生徒の解消に向けて」3番目に「豊かな人間性や社会性の育成」が書かれているが、普通は学力・体力は分けて論じるのに一緒にしたのは何か意味があるのか。知・徳・体というのは、いつの時代でも変わらない学校教育の役割なので、何で徳の部分が「学校生活への不適応児童生徒の解消に向けて」の次に出てくるのか、イメージとしてわかりにくいのではないかと思う。最初に知・徳・体で分けて書いて、その次に「学校生活への不適応児童生徒の解消に向けて」を書く方がいいのではないかと思う。また、13ページの「三位一体による教育力向上」という図がいきなり出てきており、何の図なのかよくわからない。

委員
 前回、中野区を取り巻く状況ということで課題等に対して、こうした学校の学力の関係、あるいは家庭での指導の関係、地域でのさまざまな取り組みという形で、三位一体で協力して教育力、学力を上げていくというような形で示した図である。以前、学力向上ということで示していたが、さまざまな三位一体による教育力の向上という意味で、このような図に変更したという経過がある。
 学力・体力の向上が一つになっているということについては、分けたほうがいいのか検討したい。

会長
 武蔵野市の教育基本計画では「知性」と「品性」となっていて、逆にある先生から「なぜ体力が出てこないのか」という意見が出てきたりした。中野の場合は、知性の部分と体力の部分があってなぜ徳性が入らないのかという意見だと思うが、自治体によって子どもの実態は微妙に違っているし、どこに重点を置くかによってスタンスは変わってくるので、きちんと説明できればいいのではないかと思う。

委員
 先ほどの12ページのところの順番と、次の一貫カリキュラム構想のところを通して同じようなことを感じていた。知・徳・体を並べるという話があったが、あえて知と体を一緒にしているところが面白いと逆に私は思っていて、ただ、順番としては、目標として10ページに目指す人間像というのがあるので、やはり「豊かな人間性や社会性の育成」が先にきて、そして生きるための学力、体力だと思うので、そういう順番の方がいいと思う。また、同様に、13ページの小中一貫カリキュラム構想の目的の方も、知・体が先に出て、生きる力が最後に出てくるので、これも生きる力というものが独立した力として存在するというような形よりも、むしろ生きていくために学力が必要で、将来働いていくために使える力としての学力・体力ということだと思うので、このあたりも順番を変えた方が、カリキュラムを構想する際によいのかもしれない。将来の生活という自分のキャリアプランや、将来に向けて自ら学力や体力をつけていく、それを支援していくというのが構想だということで、これを中野区の特色としても出せるのではないかとも思うので、この辺を整理するといいのではないかと思う。
 また、15ページの小学校と中学校の連携のところでも、学力向上への取り組みが最初にあって、学校生活への不適応児童生徒の解消等で「生きる力」が突然出てくる形になっているが、やはり生きていくための学力向上があり、全体的に学力向上を進めていく中で、さらに特別に配慮を要する子どもへの対応というように整理した方がわかりやすいのではないかと思う。

会長
 特にここでは一貫というところに力点を置いているが、これは後述の「中野ミニマムスタンダード」という部分にも関わってきて、学習のステージのようなものをかなり明確にして、到達目標を積み上げていく形でカリキュラムを構成しないと一貫というのは生きないし、ただ小学校と中学校のカリキュラムを融合すればいいというものではない。小学校6年間と中学校3年間が途切れていたものが、9年間一貫したものになることで下手をすると非常に弛んでしまうのではないかという見方をする人もいる。中高一貫が出てきたときにもそういう議論があった。中高一貫は6年間というスパンの中で教育するわけなので、そのスパンの中で、ある意味張り詰めた学習を生徒たちに進めさせるためには、かなり強烈な到達目標が描かれていないと難しいと私立の中高一貫校の校長が言っている。私立とは違うが、それでも小学校1年生から中学校3年生まで積み上げていくわけなので、それぞれの段階で何をどういう力を達成目標とするか、その辺のところがかなり大きなポイントになる。だから後述の「中野ミニマムスタンダード」これも後で表現の議論がでてくるとは思うが、その「中野ミニマムスタンダード」と連動してくる話になる。

委員
 小中一貫カリキュラムについては、区全体で取り組む教科や領域ごとのカリキュラムを持ち、そのカリキュラムに従って中学校区を単位とした連携を進めて教育にあたろうではないかという意味でとらえている。そうすると、14ページの図はどうしても納得がいかなくなってしまう。この図だと、中学校区を単位とした連携の中に、小中一貫カリキュラムがあるので、中学校区を中心として独自のカリキュラムをつくるというイメージを私は持ってしまう。

事務局
 小中一貫カリキュラムについては、委員の意見のとおりと考えており、14ページの図は、わかりやすく修正したい。

会長
 一貫と特別支援教育との関係をどう整理していくかという課題をこれから議論していただきたいと思う。まず、20ページからの特別支援教育の充実で、気づいた点等はないか。

委員
 特別支援教育の充実で、全校への特別支援教室の設置とあるが、これはぜひ早目にやっていただきたい。というのは、うちの方の小学校の区域で特別支援を必要とする子どもが通級をする場合、踏み切りを渡った先の小学校まで通わなくてはいけない。精神障害を持ったお母さんが何人かいて、送り迎えをするのが大変だということがあるので、早目に設置していただきたいと思う。

委員
 そのことと少し関連するが、この特別支援教室は通級指導の対象ではない児童・生徒が対象になっているので、今の話のような方は対象にならないのではないか。どういうことをどの程度想定してこう書かれているのか。それと同時に「巡回指導の充実」で「LDやADHD等の児童・生徒については、通級指導の対象とするまでもなく、通常の学級における教員の適切な配慮や習熟度別学習の工夫等により対応することが可能な場合が多い」と書いてあるが、実際、通常学級での指導が非常に大事で、授業のユニバーサルデザインも大事ということが大前提になると思う。「多い」と書いてしまっていいのかなということもあり、LDやADHDという診断がついているが、通級指導の対象とはしない子どもがたくさんいて、その子どもたちだけを特別支援教室で手当てするというようにも読み取れる文言になってしまっている。それをねらっているのならいいが、どうなのだろうか。

委員
 特にそういうことではなく「多い」という部分を強調するつもりはない。また、特別支援教室を全校に設置するが、その対象をどうするかについてはまだ十分に整理していない。

委員
 校内での特別支援の推進に必要な施設として特別支援教室を設置するといったように、対象については余り限定的に書かないという方法もあると思う。また、「可能な場合も多い」と書くかどうか考えた方がいいかもしれない。

委員
 前に戻ってしまって恐縮だが、2~3ページにかけて、中野区の状況ということで特別支援教育の現状が書かれているが、この3ページの2つ目に書かれている日本語指導が必要な児童・生徒というのは、外国人の児童・生徒のことか。

委員
 外国人だけでなく、海外から帰国した日本人児童・生徒で日本語の指導が必要な児童・生徒もいる。

委員
 そういう子どもたちは、そもそも特別支援教育の対象なのだろうか。もし対象だとすると、20ページには、そういう子どもたちのことが全く出てこないのはなぜなのか。

委員
 特別支援教育の対象ではないが、個別な支援が必要だろうということで特別支援教育に記述したものである。

委員
 広い意味で特別な支援を要するという意味と法律的に言われている特別支援が、同じところに書かれている。海外から帰ってきて日本語が話せない帰国子女が適応するための指導であって、異文化教育などとも違う。特別な配慮を要する児童・生徒への教育など、項目を変えた方がいいと思う。

委員
 教育相談についてが、ここに入っていてもいいのか。

委員
 発達障害者支援法と結びつく特別支援教育では、普通不登校は入らない。日本語指導や不登校についてといった個別の項目にするか、特別な配慮を要するという項目にした方がいい。

会長
 別立てにした方がいいかもしれない。

委員
 項目を追加して、整理したいと思う。

委員
 通常学級での特別支援教育には、非常に難しい部分がある。この間区の方で出していただいた保護者の評価の中で、特別支援教育に対するその説明や理解という面での保護者の評価が非常に低かった。学校で特別支援教育について保護者の理解をどうやって得ていくのかを考えると、人権意識や人権感覚なり、あるいはノーマライゼーションとか、そういうことに対する理解を常に得ていくというのが非常に厳しい。特別支援教育を浸透させて進めていくには、その階段を一歩超えないと難しいのではないかと思っている。特別支援学校や特別支援学級などはいいとは思うが、その根底にある地域や保護者への啓発や理解などについて、きちんと記述しないと浸透していかないのではないかという気がする。学校で親子を対象に特別支援について啓発を図ることは、ハードルが高く、いわゆる偏見のようなものがどうしてもつきまとってくる。だから、例えばLDやADHDについて説明して、そのことを理解してもらっても、それが本当にすっと入っていくかどうかという問題が大きい。そういうことはここで記述できないものなのか。

委員
 そのあたりも地域によって大分違うような気がするが、中野だと結構難しいのか。

委員
 中野だけではないと思う。中野は理解している保護者の方も結構多いが、特定の方からは偏見もあったりする。

委員
 障害のある子は特別支援学校や特別支援学級に行ってほしいというようなことになってしまう。

委員
 いわゆる障害という言葉に対して、普通にとらえてもらえればいいのだが。

委員
 そのことについては、PTA連合会でも独自に研修会などを実施していると思う。

委員
 実際、学校の中にある特別支援学級に子どもを通わしている保護者と中野特別支援学校に子どもを通わせている保護者と普通の学校に通わせている保護者では越えられない壁がある。だから、自分の子どもが障害者だということは認めて、そこの中でも頑張ってと言って一生懸命訴えているが、もう中野特別支援学校に通わせているお母さんにしてみれば「だったらこっちに来なさいよ」と言う気持ちになる。だが特別支援学校には行けないというギャップがある。健常者の子どもの親として見れば、障害を持っている子どもの保護者がこんなに一生懸命頑張っているという姿は、とても感動するし理解しなければいけないと思うが、もう一つ上のランクにいる保護者から見れば、すごいギャップがあるような感覚がある。今度小中学校のPTAで合同研修をやるということで、今特別支援学校のPTAの方たちと色々な打ち合わせをしているが、私たちの意識自体もまだ低い。だからこういう合同研修を通じて少しでもそこに近づかなければいけないところがあるが、そういう子どもを抱えている保護者ですら越えられない段差というのを、どういう形で埋めていけばいいのだろうと考えているが、結構難しい。
 それとたまたま知り合いで、小学校1年生の時からそういう障害があった子がいたが、親がそれを絶対認めなかった。結局、授業妨害ということにもなって、3年生の後半からやっと通級学級に通うような状態になった。幾ら周りが色々な形で勧めても、親自身が認めないという自分の子どもに対する思いも現実の問題としてみてきたので、この問題は難しいという気がする。

委員
 障害のある子どもを持っている親がそれを認められないという背景には、周囲からというか、世間からの差別など色々な思いがある。その親自身も乗り越えられないし、周りの人はもっとわからない部分があると思う。それを乗り越えるためには、具体的にどんなことがあるのか。報告書には一応啓発活動の充実や理解促進といったことは書かれてはいるが。

委員
 もう少し具体的に記述できるといい。

委員
 一応親としては自分の子どもに何かの障害があるのは嫌だというそういう親心があって、例えばLD・ADHDや情緒障害の子どもを普通のクラスに入れていこうということがあって、そのためにいろいろコーディネーターや先生も勉強して対応している。障害があるかもしれないと先生も周りも思っても、まずは専門家に見せて認定してもらうことになる。そういうことを受けてもらえるかどうか、その辺がとてもデリケートな問題だと思う。この啓発活動の充実もそういうところでひっかかってくる。頭ではわかっていても、どういうふうにしたら色々な方々に理解してもらえるかどうか。聞くところによると障害がわかったら対応が早い方がいいと聞く。本人の親が余り受け入れられていないのに「あなたの子は実はね・・」と言うのもどうだろうかと思う。

委員
 それはとても大きな問題だと思う。今の話であれば、あえてここにも障害児童のプロセスも含めた保護者支援というのを念頭に置いた文言を入れたらどうだろうか。そして、どういうふうに発見をしていくのかということで3歳児健診や乳幼児健診の充実を図る。もう一つには申し送りやサポートファイルのようなことを充実する。
 9ページの「乳幼児期における早期の発達支援共有ルール」に、早期に発見して生涯にわたって支援を行っていくスターティングポイントということが記述されているが、そのことをこの20ページにも盛り込むのかどうかということだと思う。また、そこまで踏み込んで書くとしたら、保護者・地域への啓発、理解促進のところに、もう少し具体的な文言として今話にあったようなニュアンス、例えば保護者への支援や保護者同士の支援とか、あるいは、特別支援の必要な子どもを地域で育てていくといった方向性というのをもう少し具体的に記述していく。障害を持つ人がいて、その人について理解しようという書き方ではなくて、そういう人も、障害があるかもしれない人、ないかもしれない人、色々な人がいるけれどもやっていこうという、異文化教育とかと似ているが、そういうことをもう少し踏み込んで書く。保護者・地域への啓発のところに、保護者の支え合い、地域への支援、地域による支援など、そういった文言を入れたらどうか。
 また、早期からの一貫した支援のところに書いてあるが、早期からずっとこうやっていくということをもう少し明確に書いた方がいい。
 さらに、通常の学級における特別支援も連動させていくということについても、(仮称)すこやか福祉センターや療育センターアポロ園などの福祉の立場の方や、あるいは障害についての専門家と学校が連携してやっていくといったことももう少し出していく。そのことで早期から保護者も含めた支援の体制が充実して、一貫した方針の中で校内でも支援ができる。そうすると、余り学校が「おたくのお子さんはADではありませんか」などと言わなくても済むし、支援の側からも、他の地域の人たちや専門家とネットワークを組むことができる。そのことで保護者への理解が間接的にしやすくなるかもしれないと思う。

委員
 今までもずっと考えてきたことなのだが、うちの学校は中野特別支援学校に近いので交流をやってきているが、そういうことをもっと自然な形で深めていくのもいいのかもしれない。

委員
 障害のある人もない人も住みよい社会にといった意味での周囲の理解というところになる。

委員
 そういうことだと思う。そういう意識が広がってくればいい。

委員
 PTA の方の話は、その障害を抱える子どもの保護者が、持っているかもしれない、持っていないかもしれない、そのグレーのいっぱいいるその人たちというものを含んだ中で、地域の中で教育をどう成り立たせていくかという問いだと思うので、今の話とは少し違っていると思うが、両方とても大事な側面なので、両方についてもう少し盛り込んでほしいということだと思う。

委員
 確かに、この啓発活動というのは一言で書かれている。今日の新聞に「光とともに」の作者の方が亡くなったと出ていた。その作品がドラマになったが、自閉症の子どものことを扱ったテレビ番組ができたということも、社会全体の理解が少しずつ進んできているのかなと思っている。もっと社会全体でという意味の啓発活動が行われれば、保護者も安心して一歩踏み切れるということなのだろうと思う。

委員
 保護者への支援は入れてもいいのではないかと思う。

会長
 公教育というコンセプトがかなり重要になる。第4章で「中野ミニマムスタンダード」が出てくるが、この「ミニマムスタンダード」というのは、中野区にとっての公教育の中身である。その中野区の公教育の不可欠な部分として特別支援というのが位置づいているわけだから、特別支援教育も含んだ意味のスタンダードでないとおかしい。具体的にカリキュラムをつくるときに、現実問題として、外国人で中野区に在住している人の教育をどう保障するか、あるいは日本人で帰国した帰国子女の教育をどうするかとか、特別支援の部分をどう取り込んでいくかとか、その辺の公としてのとらえ方というのが、カリキュラム自体をつくるプロセスの中でかなり問われていくのではないかと思う。
 そこを外したら多分公立学校でなくてもいいのではないかという、法人化すればいいというところに行きつく。国立大学法人のように、公立学校を法人化するという流れが自治体の方から出てくる可能性があるのではないかということで、そうすると「公」というコンセプトがかなり問われてくる時代になると思う。
 現実として私学志向は強い。この不景気の時代でも私立学校受験者は減らないという報道があったが、今どんどん私学に流れている。だからそれに対抗して「私」「公」というのを考えようとすると、公立の論理というか、能率の論理が前面に出てきて、多分に一貫というところに行きやすいところもある。そうなると特別支援とかそういうものを排除してしまう構造になってしまうので、そこは気をつけなければならない。
 22ページから「第4章新たな取り組みの提案」が書かれており、これが重点目標というか、これから中野区が進んでいく場合のかなり重要な柱になっていく箇所になる。この箇所についての意見等をお願いしたい。
 先ほども話したが、ここに書かれているミニマムスタンダードは、どういう背景があって「ミニマム」と「スタンダード」を一緒の言葉にしたのか。

委員
 「ミニマム」は最低基準の最低の意味である。学習指導要領が「ミニマムスタンダード」だと言われているわけだが、実は学習指導要領の内容全て完璧にというのはかなり厳しい。もっと基礎になる部分を、例えば小学校2年生で掛け算を習うが、確実にしっかりと2年生のうちに覚えさせておくというのがまず一つ「ミニマム」で「スタンダード」については、中野区として基準をつくりたいという意味の「スタンダード」で、それで「ミニマムスタンダード」と言っているが、会長の話のとおり、この言葉自体にイメージを持っているので、他にうまく伝わる言葉があれば変えたいと思う。

会長
 他の委員はいかがか。「ミニマムスタンダード」というのは、その学年で確実に身につけるべき基礎的内容と定義されているから、それぞれの学年で到達すべき学習のステージのようなものを中身にしているというように読める。
 検定を導入するとあるが、検定となると今度は特別支援や日本語指導が必要な子どもの場合はどうするのかといったことが、現実問題としてきっと出てくると思う。

委員
 体育の方はもう中野スタンダードをつくって取り組んできているが、今のお話のとおり「ミニマム」は最低基準で、どの子も指導しないといけないものだという理解をしていた。目標値の設定としては、最低基準ではまずいだろうということで「スタンダード」という言葉を使い、7割の子どもが到達できるだろうと思われる数値をスタンダードラインという形で作成した。しかし、学習指導要領の内容が「ミニマム」と言われてしまうと、その内容を全部できるようにするのはかなり難しいので、「ミニマム」の言葉遣いを自分たちで設定せざるを得なくなった。我々はそういう設定をしてつくり始めた。こういう位置づけだという使い方をしないと、「ミニマム」「スタンダード」が両方くっついていたらますますわからなくなると思う。

委員
 私も普通の文章として読んだときに、やはり「ミニマム」というのは最低基準ということだと思うので、それを全ての教員が確実に指導できるようにするとなると、中野の学校の先生が怒ってしまうのではないだろうか。7割の子どもが到達できるだろうといったある目標値を含んだものであれば、確実に指導できるようにするということを目標とすることはありなのだと思う。一方で「その最低限のことを指導できない人がいるんですか」というようなことになってしまうような気がして、やはり分けた方がわかりやすくなると思う。例えば基礎的内容の部分と目標的な部分の両方を明確化するというように書いたらどうか。

委員
 この「ミニマムスタンダード」というのは教科書に書いてあることなのか。

委員
 教科書がイコール学習指導要領だと考えると、学習指導要領の中は、もちろん全部やらなければいけないのだが、さきほどの会長の話のように、一貫教育を進めていくと、1年生でやったことが確実に身についていないと次のステップに上がっていけないというものがあるはずなので、それを確実にこの学年では押さえておこうというものである。

委員
 教科書全部ではないのか。

委員
 もちろん全部教えないといけないのだが、なかなか全部というと厳しい。いわゆるここで言っているのは、本当に学習の基礎となる部分なので、計算もそうだし、読み書きとかも含めてということになる。いわゆる思考力だとかいう話になってくると、厳しい話になってくる。

委員
 読み書きそろばんが基礎、基本とよく言われている。最低基準というと、どの辺を最低基準にするのか、また、とらえ方も難しいと思う。

委員
 一番怖いのは、このイメージが先生方で違ってしまうことである。だから規定をきちんとするという事が大事なのかもしれない。

会長
 教科書は学習指導要領に準拠して作られるが、今回の改訂によりその学習指導要領に歯どめ規定がなくなったので、教科書にプラスアルファが記述されてくる。そうすると、恐らくどこの会社の教科書も少し厚くなって、中身が今までよりも多くなる。そうなると「ミニマムスタンダード」の部分というのは、中野区で設定するのか。採択した教科書というのは、学習指導要領よりも少し膨脹したものになっているはずなので、そのプラスアルファになっている部分は中野区として線を引くのか、どこまで教えるのかが、現実問題としてある。

委員
 この程度までは中野区として押さえようみたいなものは、私はあっていいのではないかと思う。

会長
 逆にそれがないと先生によって、隣の教室はここまで教えて、うちの教室はここまでしか教えなかったということが出てくる可能性が出てくる。

委員
 それがその最低基準のとらえ方になる。全ての子どもがその最低基準をクリアできるかでとらえると、それはまた少し難しい話にはなると思う。

委員
 検定等で確認というと、最低限九九は言えるようにするといった、そういうイメージになるし、ここまでは教えようということだと、身についたかどうかということはまた別になる。

委員
 体力のことになるが、先ほどの一貫カリキュラムと同じだが、ミニマムということで、中学校の体育教師、小学校の体育教師に設定項目を作らせたら、中学校よりも小学校の方が高度だというのが現実に出てきた。そこで基準が必要になり、7割の子どもが到達できるような基準を考えようと、これで初めて整合性の段階が出てくる。体育の場合ではスポーツテストの結果があるので、100人中の70番目の記録というのははっきりと数値で出てくるので、それを基準にした。体力のスタンダードは数値ではっきりと出た結果をもとにしているので、これに合わせて指導目標をつくることで一連性が出てくる。指導の仕方が試案として出せる。7割の子どもがこの指導でできるはずだから、残っている3割にはどういう援助が必要かというのをつけ加えていくというやり方で、指導の一覧表をつくった。

委員
 この「ミニマムスタンダード」は、例えば今のお話で言うと、算数、数学や国語とかなら何となくわかるのだが、理科や社会もこういうものはできるのか。

委員
 理科や社会でもつくることは可能である。

委員
 具体的にどういうものか知りたいが、例えば社会では県庁所在地ぐらいは言えるようにするとか、白い地図に全部入れられるだとか、そういうことなのか。

委員
 そのとおりである。都道府県名と場所がわからないと、ある県の話をしていてもわからない。最低限、小学校4年生や5年生ではそこまでしっかりやっておこうというのは大事だと思う。実は音楽もそういうことがあると思っている。共通教材というのがあるが、最低この歌は皆が歌えるようにしておこうといったものを考えている。また難しいかもしれないが、読書ではこの本は読んでおこうといったようなものもあると思う。学校によってはもう「○○小学校の100冊」などと決めている学校もあるが、そういうこともあっていいと思う。

委員
 身につけさせる基本的な事項を明確にしていくという方がいいかもしれない。ただ、それを決めるのはかなり大変だと思う。

会長
 指導要録がやはり問題になってくるだろう。3月に国がつくった指導要録が公表され、まずそれを東京都が土台にして、東京都版をつくって市区町村に送付してくるといった流れになると思う。市区町村の教育委員会はもちろん拘束力はないが、国がつくったものが大体各学校まで下りていっている。
 だから、指導要録には児童・生徒を評価する基準が盛り込まれている。結局はミニマムスタンダードが規定するのは評価になる。PISAの国際学力が日本は落ちてきたということがあって、活用型学力といった知識を活用することが重要とされてきている。前から知識の習得と探求というのはあったが、その真ん中に活用という力があって、その部分を日本は十分やってこなかったために、PISAの国際順位が落ちてしまったのではないかという指摘がある。そのため、今度の学習指導要領には、活用能力がかなり盛り込まれている。知識の総量だとどこまで覚えたかということが比較的わかりやすいのだが、活用する力となるとそれをどういう物差しでどのように尺度化するかが問題だ。それを今国でつくろうとしている。ほぼ出来つつあるみたいだが、児童・生徒の指導要録のフォーマットがどうなるかということで、非常に関心を呼んでいて、それによって「ミニマムスタンダード」の中身もまた違ってくるかもしれない。でも、中野区はそういう方向でつくっていきたいということである。

委員
 検定といっても色々な意味がある。例えば算数検定のようなものなのか。そうではなくて、教師の方が、学校での指導効果というものを反省したり振り返って、教育の効果を検証するためのものなのか。同じものを両方に使うということももちろんできるとは思うが、色々なとられ方がある。検定というと普段あまり使わない言葉なので、級みたいなイメージが私の中ではあり、こういうところに書く表現としてどうなのだろうかと思う。定着状況を把握するための学力テストとか、教育の効果をはかる客観的な仕組みをつくるというような意味なのか。それとも「ミニマムスタンダード」というのは、一貫教育と並んで積み上げるというのも、学年を取り払った級として、検定として何かつくっていくのか、色々なことを深読みさせる表現だと思う。

委員
 話のとおりで、検定という言葉はどうしてもそういうイメージがつきまとってしまう。ここで言っている検定とは、「ミニマムスタンダード」がどの程度きちんとできているかという意味の確認テストのようなもので、現在でも多くの学校で独自につくっているものがあるので、そういうものを一般化できないかと思っている。
 また、計算の場合だとステップを踏んだ方がいいと思っていて、例えば小学校1年生から中学校3年生まであって、何年生はここまで、何年生はここまでが最低だとやる方法もあると思う。その難しさは今度それを超えてやることについてどう考えるかという判断が必要になるということである。

委員
 そうなってくるとそれは教育方法の問題なので、スタンダードを策定するということとはまた違った議論になると思う。

委員
 今は到達度で評価基準を設けている。ちょうど5段階でいくと3のところで大体5割を超える、だから5割まではわかるという、そういう感覚なのかなと思った。あるいは中野は今70%に目標値を定めているので、そのようにとらえていけばいいのではないかと思う。

委員
 でもそのときに、何級、何級までしなくて、その学年でそれができたかできなかったかとだけにすると、できなかったらどうするのかとか、最低保障はどうするのかというようなことが出てきてしまうと思う。

委員
 違う何かいい言葉を考えたいと思う。

会長
 サタデースクールとの関係で都が少し緩和するような話があるが、中野はどうなっているか。土曜日に教科の学習をやっているか。

委員
 いわゆる教育課程でやっているところはない。ただ、土曜日に公開授業などを実施し、月曜日に振替休みをとらないということを年に何回かやっている学校はある。

会長
 土曜日に先生方でやっているケースはあるのか。

委員
 教育課程としての補習としてはやっていない。地域の方にお願いをしているケースが多いと思う。

会長
 これから先どのように考えていくかが難しいと思う。現実には塾があり、学力の向上には、もしかしたら塾の方がはるかに進んでいるような感じがある。要するに「公」と「私」というこの2元体制があるので、非常に難しい問題である。また家庭環境や家庭の文化が学力を規定するという調査結果もある。「ミニマムスタンダード」というのは、どのように中野区の公立学校の役割を定義するかというそういう問題に真正面からぶつかっていかないと出てこないものだと思う。だから、これをつくって看板として掲げるというのは、そういう意味で逃げていないわけだからいいことだとは思う。ただし、色々悩ましい課題はたくさんあると思う。

委員
 この第4章で新たな取り組みの提案とあるが、今、純粋に子どもたちも少なくなり、少しでも中野に子どもたちを呼び寄せるために、この「中野ミニマムスタンダード」というのは、中野独自の色が出ているオリジナルのものだと思うが、これがあるから中野に住もう、これがあるから中野の学校に子どもを通わせようというような、もっと魅力のあるものを出さないと子どもは中野に来ないような気がする。23区の中で土地が安いとか、何か具体的にわかるものが必要だと思う。これで自分の子どもを中野の小学校に通わせようと思う人たちがこれから出てくるだろうか、中野に住んでよかったと思わせるような提案なのだろうかと思う。中野でなければできないもので、中野がここまでやるよという提案であればもっと掲げてもいいと思うし、できる、できないの話をし始めると切りがない。隣の杉並区には色々ある。区境に住んでいる者として言えば、杉並区でもいいかなって思ってしまう。

委員
 逆に保護者の立場から何か提案などあるか。

委員
 先ほど話にあったが、小中学校では体力や運動の面に関してはこういったものがもうできているとか、もう少し目に見えるものが欲しい。教員の授業力向上に向けた取り組みと書くよりも、中野区は先生がたくさんいると言われた方がとてもわかりやすいし、保護者から見れば現実的だ。

委員
 今中野区ですぐれているところとしてどういうところがあるのか。

委員
 PRが余りうまくなくて理解がされていないが、学校はかなり地道にやっていると思う。体力のこともそうで、若い先生がどこも増えてきている中、先生方はとにかくよくやっている。それは売りにはできないかもしれないが、かといって教師を増やせるかというと、それはまた別の問題になる。

委員
 実は、体育の中野スタンダードの目標項目を設定するときの設定の仕方も色々あった。ただ数値を設定するという以外に、大きな力強い踏み切りで着手を力強くし安全に着地する、一連の動作の流れみたいなことも項目設定になる。学力で言うと、一般的にどうしても知識量や難易度だけになってしまい、難しい問題ができていると理解している、点数が高い者が理解できているという傾向がある。ところが、会長の話にあったPISA型理解力ではそういうわけにはいかないので、「ミニマムスタンダード」の設定項目をそういう中身で持っていくと、非常に独自性があって中身の濃いものがつくれると思う。携わる職員も教員も関心をもって作業に入ってくれるような気がする。
 体育の場合は、そういう数値的なものと、流れのようなものと、意識調査みたいなものを並列で出していくという形をとっている。

委員
 普通の教科でも、ある問題が解けるということだけではなくて、ノートのとり方がきちんとできる、その学習のプロセスとか、自ら学習していくことを具体的に項目に落とすこともできたら相当先進的ですばらしいと思う。

委員
 意欲、活力、それから読解力、この辺を一つの柱で出すと非常に面白い、どこにもないようなものにはなると思う。

委員
 そういう活動がどの程度定着したか見極めることが難しいと思う。

委員
 その前に、指導をこういうふうにするとこうなるはずであるといった指導目標が必要で、その指導目標の中に評価の観点が入ってこないと形にはならない。

会長
 今、色々な議論を伺っていると非常に悩ましいと感じる。武蔵野市は中野とやや似ていて、地道に努力をしている。武蔵野市の教育基本計画(仮称)策定委員会でも、品川区や杉並区がやっているのになぜ武蔵野市は何もやらないのか、三鷹市ではお母さん方がNPOで一生懸命やっているのに私たちの武蔵野市はなぜできないのかという話が出てきた。
 23区の中でも、若い先生方のいわゆるモラルが非常に不足しているところがあって、ある副校長が「私が若い頃はつまづいたり、行き詰ったら目上の先生に教えてよということで食いついていったが、それがうちの学校の若い先生に何も感じられない」というようなことを話していた。そういうことが中野でも起きているのかどうかもわからないが、起きているとすればその辺に対する手当てというのが、一番重要な教育改革になるかもしれない。また、年をとっていればいいということでもないが、そういうことを感じている先生もいる。教師としてのやりがいを感じて教職に入ってきていない人が増えてきているのではないかとも話していた。

委員
 今の話に関しては、次の項目にある本区の特徴でもある教育マイスターが示範授業をして、お手本になるものを見せていくという、地味ではあるがそれが一番大事なことではないかと思う。
 それから、世の中では活用、活用と言っているが、その前に習得があると思う。活用するべき材料がないとできないので、習得すべきことはきちんとまずやりたい。それをどう活用していくかということは当然あると思うが、ステップではないにしても、学ぶ・考える材料になる知識や技能をきちんと指導していきたいということが「ミニマムスタンダード」の思いであり、そういうことを指導できる先生を育てていきたいと思う。その一つの目標として教育マイスターがいるという流れになっている。

会長
 一つのポイントとして、一貫教育というところに少し踏み込んだらという提案があるが、施設一体型をいきなりつくろうというのではなく、むしろカリキュラムや指導体制の方で小学校と中学校の連携を深めていく。連携が薄いところは連携をまずつくり上げるところからスタートしなければならないが、そういう取り組みをしていったらどうかという内容になっている。その場合に学習ステージを積み上げていく形で、縦の連携や一貫というのは動いていかざるを得ないから、到達目標を1年生の到達目標、2年生の到達目標、3年生の到達目標という学習のステージを明確化するということがどうしても必要になってきて、それが「ミニマムスタンダード」という話になっていると思う。その反面で特別支援や外国人の子どもたちや外国から帰ってきた日本の子どもたちの問題についても取り組まないといけない。それがむしろ公立の強みだというふうにしていけばいいのではないかと思う。

委員
 「ミニマムスタンダード」という文言そのものは工夫する余地があるのかもしれないが、この流れは学校としても非常に実践的な流れだと思う。例えばこの中に、「学習規律の体系化」というのがあるが、きちんと段階を追って指導していけば効果が上がると思うので、視点としてはいいと思う。一貫カリキュラムではないが、小学校から中学校と段階を追って、こういう視点で取り組んでいけば結構成果が上がる気がする。

委員
 色々な話を伺っていると、今までよりも学校の先生の負担がますます増えていくような感じがするが、その割に教師の数が増えていないというところで、地域のボランティアの活用の話があった。前にも出ていたが、先生が授業に対応するための時間をすごくとりにくくなっていて、その他の作業や事務的なことの方に時間がとられてしまっている。その辺のことにボランティアを活用するとか、先生ではなくて事務を負う人を増やすようなことが報告書の中には出てきていない。学校の本当の現状がよくわからないが、その辺についてはどのように考えているのか。

委員
 委員の話のとおりだと思う。内容については、ある程度の方向性をきちんと先に示しているし、異論を唱えることはないと思うが、問題は誰がやるのかということになる。要するに、目標は定めたが、それを実現化するための手段というものがないので説得力に欠けていると思う。

会長
 そこはかなり重要なポイントで、プラットホームをつくっていかないと難しいだろうと思う。今、大学レベルで、コーディネーター養成のプログラムをつくろうというのが少しずつ出てきている。将来は資格制度まで拡充しようとか、とりあえず検定制でなどといったコーディネーターのプログラムをつくって、受講者に検定を実施して「あなたは○級だ」と認定していくというものである。
 中野区には、地域に色々な人材がたくさんいると思うが、そういう人材が学校の中に入り込む時の橋渡しが必要になる。橋渡しがきちんとしていないと、むしろ学校の先生にとっては来てもらわない方が楽だという話になる。実際に教科の場合は難しい。例えば、理科の実験では人手が要るので、誰か手伝ってほしいと思いつくが、実験というのは薬品や火を使ったりして技術的なところがあるのでとても難しい。どの場面にどういう資質の方にどういう形で入り込んでもらうかというプログラムのようなものをつくっていかないと、事故が起こったらどうするのか、結局学校が責任を負うことになるということですぐだめになる。
 やはり大学が役割を持つだろうということで、実際に今、岐阜女子大などでコーディネーター養成講座をつくり始めているし、東京学芸大もこのプラットホームを動かしている。東大にも学校支援センターがある。少しずつそういう動きが広がってきているので、この19ページの図というのは確かに、こういうことが実現できるということを、結局学校の外部の組織を、学校の中に先生方の負担にならない形で、しかもよかったって先生方が思うような形でつなぎとめていくためには、この真ん中辺りのところがかなり重要になる。プラットホームといった組織をつくっていかないと多分動かないと思うので、それを書き込んでもらえば、書いたらやらないといけないということになるが、返って学校にとってはいいのではないかと思う。でもそこをやらなかったら多分連携というのはうまくいかないだろう。
 一貫も同じで、現員スタッフでむちを振って、尻たたいてやらせればいいというものではなくて、誰が音頭をとって手がけるか、そういうスタッフの問題を十分考えていかないと、言葉だけで終わってしまう。あるいは一部の教務主任や副校長といった一番忙しい人がますます忙しくなってしまう可能性があるので、その辺を行政の方でも是非考えていただきたい。
 ただボランティアを人材バンク等で集めれば済むという世界ではない。でも、ここのところはかなり重要なところだと思うので、学校理事会構想についても民主党政権が本気になっているという話も聞く。そうするとそれぞれの学校で、地域の方が中心になって学校を管理する体制になっていく。そして教育委員会は消えていくという構想なのだろうと思うが、そうなるとますます学校の先生方のすぐ脇に地域の方が来る状況になる。それが本当に先生方にとって「ああよかった」と思えるようにするには、橋渡しが非常に重要になる。そこを考えていかないといけない。

委員
 学校支援ボランティアという体制が、一つの学校ではなく区域全体でとてもうまくいっているモデルケースのようなところはあるのか。

会長
 千葉県野田市では、4つの中学校をモデル校にして、今のところは理科だけだが、理科教育指導助手として市民ボランティアをつけることをやっている。そのボランティアをつけるときのコーディネーターが必要になってくるので、ボランティアとコーディネーターを兼ねている人もいる。最初は元教員や、今育児のために退職した人、あるいは学習塾の経営者といった資質がかなりある方がなっていて、その人たちは学校の中も、授業もよく知っているのでうまくいく。が、学校数が増えてくると多分養成しないとだめだと思う。養成するための研修プログラムで、杉並区の学校支援のNPOの理事長の方に来てもらって講師をやってもらい、野田市民の中にそういう資質を持った人を育てる作業を行っている。中野でもそういう学校が幾つかあるのではないかと思う。地域とかなりリンクした学校があるのではないか。

委員
 沼袋小学校がそうだと思う。

会長
 それを広げていくときに何か仕掛けがないと難しい。

委員
 例えば、その授業サポーターとして一応講習を受けて認定された場合、その人を学校に割り振るのもまた学校の先生だと大変だと思う。

会長
 野田市は公民館がまだ残っているので、公民館が拠点となって研修講座をやる体制を始めた。今、実行委員長をやっており、2、3か月おきに研修講座を行っている。いろいろ問題はあるが、一生懸命やっている。だからそういうのを本気でやるとしたら、ただ絵に書いたこういうものだけではなく、どこかに突破口を設けて、新しい仕組みを入れていかないと学校と地域だけだと多分動かないと思う。

委員
 都内では小平市がやっている。今はもう外れたが文部科学省から地域指定を受けて、独自にコーディネーターを養成し、学校にコーディネーターが入り地域の人たちを集めて学校の教員と連携して授業に入っている。
 今、お話しいただいたようなことは、実は22ページの4のところに書いてあるが、もう少し踏み込んでということであれば、実は生涯学習分野のことぶき大学院やなかの生涯学習大学の講座の中に学校支援の講座があって、もうその方々が卒業して、今、学校にぜひきてほしいという話にはなっている。あとは組織をどうつくっていくかというところになる。

会長
 町を歩いているだけで何かたくさんいそうだなという気がして、だから何かうまくそういう力を糾合していけばかなり学校は助かるというか、学校の質を高めるのに役立つかなと思う。渋谷区に渋谷ファンインというボランティア組織がネットワークをつくって、全区的に学校支援をやっている。その代表の方は原宿中学校の校長を最後に終えた方で、話を伺うと「自分が校長をやっているときに、学校に目も向けない子どもたちがいた。学校というだけでそっぽ向く子どもがいた。この子たちは一体どこにいるのか、どこに居場所を持っているのか」ということから、校長をやめたことを契機に、校長をやっているときに知り合いになったお母さん方に居場所づくりをやらないかと声をかけたら、50人ぐらい集まったので、支部組織を中学校区ごとにつくっていって、それが母体になった。子どもの居場所づくりから始まって、そこからだんだん色々なことをやるようになって、学校の方はすごく楽になっているみたいだ。心の病を抱えた子どもたちもたくさんいるので、そういう子どもたちとカウンセラーの仲介をして派遣してもらったりしている。仲介を学校がやらないと大変なので、その仲介がコーディネーターの役割になる。

委員
 そういう意味では、先ほど19ページの学校と地域との連携のイメージの中で、この学校と学校支援のしくみをつなぐ役割ということで、ここではあえて書いていないが、18ページの「4学校と地域との連携の推進に向けて」ということで、こうした学校支援ボランティアや地域の人材育成を結びつけるコーディネーターの配置ということで、22ページの表現とあわせて示させていただきたいと思う。

委員
 コーディネーターが非常に大事だと思っているのでその話については大賛成である。あともう一つ、これから本当にカリキュラムや「ミニマムスタンダード」をつくって、さらにそれを実施するとしたら、それは教育委員会や学校の先生だけでやっていくのはとても大変なので、地域の資源として、単なる地域住民だけでなくて、専門知識のある例えば大学だとそういう専門的な都市学とかもあるかもしれないので、そういう地域の専門機関といった資源との連携をこれまで以上にやっていった方が、先生方にとってはいいのではないかと思う。これを全部教育委員会と学校の先生がやるのは相当大変だと思うので、小平市でもそういう形でやっているし、中野区内になかったとしても周辺はたくさんあると思うので、専門機関や専門的なものをもっと取り入れるというような積極的な文言があってもいいかなと思う。

会長
 検討会議の検討事項が、この連携教育と一貫教育なので、その筋で報告書をつくる必要があるが、施設一体型の一貫校というイメージでいくと学校選択制をしている区ではないので、拠点的にそういうのをつくってどうするのかという話になるが、カリキュラムや指導方法で言えば、これはつなぎの役割を誰がするか、ボランティアをどのように入れ込んでいくかといった問題はあるとしても、それ自体はそういうものだろうという感じのように受けとめさせていただいたが、それでよろしいだろうか。
 連携は縦の連携だけではなくて、横の連携というのも入り込んだというのはすごくいいことだろうと思う。それで特別支援も入り込んでくるし、帰国子女、日本人で外国から帰ってきた子どもも入り込むことになる。
 ただ、私立学校との競合状態といったものが現実としてあるので、そうすると中野区立学校というのがどういう将来像で中身を詰めていくかという非常に重い課題は相変わらずある。だからそのためには、先生の授業力のアップとか、先生方のやる気をどう底上げするかとか、あるいは区民全体でどうやって学校の役割を高める支援ができるかとか、そういうことがかなり重要な課題になってくるという感じで議論が流れてきたと思う。
 では、最後の回なので、感想や意見でもいいので一言ずつ各委員からお願いしたい。

委員
 本当にこの中に入って皆さんの色々な話を聞きながら私も勉強させていただき、中野の教育について真剣に考えていかないといけないと思った。ありがとうございました。

委員
 お世話になりました。3年間かけてやった体育の指導計画が、価値あるものだったのだとこの会で初めて知ることができた。

委員
 ありがとうございました。この会でまた改めて幼稚園の役割について考えているところだ。

委員
 1年間ありがとうございました。これから民生・児童委員の立場で、地域のパイプ役として頑張っていきたいと思う。よろしくお願いします。

委員
 中野の教育ということで話をしていたら、いつの間にか一貫校の話になっていて、そんなこと難しくてできないと思っていたので、今日、カリキュラムでつなげて考えるというところで納得することができた。それから、ボランティアの活用ということで話がずっと出ていたが、ボランティアだけでなくもっと中野区で事務職員や教師の助手といったような人も雇うなど、もっと早くにできることがあるのではないかと思う。

委員
 いろいろとどうもありがとうございました。町会代表として出てきたが、一回一回全てが勉強で、色々な人の意見を聞かせていただいた。学校と町会の関わり、それをもう少し町会自体でも考えていかないといけないと痛切に感じた。

委員
 いろいろ勉強させていただいたとともに、私自身も沼袋小学校と第十一中学校と2校ともなくなってしまうのだが、うちの子どももみんなお世話になって、ただ、今思うのは、公立の小・中学校がだめだから私立に行くんだというのが正直言ってどうしても嫌で、公立には公立の学校のよさもすごくあると思うので、色々な子どもや保護者の選択によって、並列ではないがこっちがだめだからこっちじゃなくてというようなところまでは引き上げられるのであれば、微力ながらお手伝いさせていただきたいという気持ちもある。ありがとうございました。

委員
 1年ぐらいでは解決できない問題だなというのをつくづく思った。今日で9回目ということで、がっかりしたり、腹が立ったり、悩んだりしてきたが色々勉強になった。
 ただ、最後に出たボランティアやコーディネーターの話は、中野ではとても重要なものになると思っている。財政的に厳しい状況だと思うが、このコーディネーター養成のために、何とか予算をとっていただきたいと最後に感じている。ありがとうございました。

委員
 9回ずっと色々な思いがあったが、今思うのはとても優しい人が多いということ。皆さんすごく誠実に考えていたのがとてもうれしかった。中野の子どもの気持ちについなってしまった。「中野の教育にいいところはないか」というようなことを僣越ながら言ったが、自分の小・中学校の9年間を振り返るととてもよかったと私は思っていて、やる気のない先生と出会ったことはなかった。個性的な先生にはいっぱい出会ったが、それぞれに熱心で、やる気がないって思ったことは、1回もなかったなというふうに思っている。そうやって何かこうたくさんの人が狭いところにいて、ひしめき合って関心を持ち合っていて、ちょっと色々な個性やずれがあるかもしれないが、一生懸命ぶつかり合っているみたいな、でもそれを抱える優しさや包容力もあるみたいな、何かそういうところが中野の特徴かなと今改めて感じている。それは公立中学校、小学校で生かしていける強みだと思う。ぜひいいものにして、公立が残っている区だというふうに言っていってもらえるとうれしいと思っている。ありがとうございました。

委員
 私は、施策が色々出てくる中で、それが連動するものになってほしいなということは強く思っている。「ミニマムスタンダード」も教員の授業力の向上と連動する形で、きちんと先生方がつくっていけるというような、そのための条件整備をどうするかとか、そのために地域の応援をどういうふうに仰ぐかとかという、連動せずに個別に施策が出ると非常にマイナスになりかねないと思うので、連携のために連動をということをお願いしたい。
 あと、公立の私立にないところの強みは地域。だから地域と公立との関係を、今日の議論みたいにしっかり考えていくということが、結局は中野の特徴になると思う。落ちついた地域性があると思うので、その意味では、地域というキーワードが、中野の場合の公立の将来を考えるために重要になるのではないかということを、今日議論を聞いて感じている。

会長
 どうもありがとうございました。
 私も先生方のお話と非常に共鳴するところがあって、例えば秋田が全国一斉学力調査でいつもトップだという、秋田詣が相次いでいるというのは聞くが、そのたびに聞かれるのは、特段何をやっているわけではなく、全体的に地道にやっているだけで、なぜ秋田がトップなのかわからないと秋田が言っているという話はよく聞く。
 フィンランドも、地道に子どもの学びの基盤を強める仕事を、教員の職能の成長には、地域や親の学校への支援というのがかなり強く、参加の仕組みがかなり広がっている。だからそういう地域を挙げて子どもの学びを強化する営みが進んでいるところというのは、全般的に学力が底上げされている。学校の統合が進んでいるが、子どもの学習の炎を消さないという、学校は消えても学習の炎を消さないあり方もあるのではないか。閉校した学校のどこかに学習の拠点を組み込むことはできないかとか、子どもの学習のネットワークづくりということと学校の再編というのはイコールではないという、その辺はきちんと踏まえながら、子どもの学習の基盤を色々なところに残っているという形を強めていくことが、結局長い目でみたら学力の底上げや健全育成につながっていくのではないかと私も思っている。
 アドバルーンを上げたいと誰しも思ったりするが、一つやったということになるのは、一貫校を中野駅のすぐ前につくったとか、そういうことになればあの委員会はすごいことをやったということは言えるのだろうが、ただ、全区的に子どもの学びの基盤を強めるかというと恐らくなかなかその肝心なものではなく、私はむしろ中野区や武蔵野市のほうが性に合っているなという感じがする。どうもありがとうございました。

事務局
 報告書については、本日いただいた意見等を盛り込み、会長、副会長と事務局で調整したものを教育委員会の方に提出したいと思うので、よろしくお願いしたい。また前回の会議要旨については、近々に内容の確認のため、各委員に送付したいと思う。本日の会議要旨につきましても、出来次第委員に送付して確認をお願いしたいと思うので、よろしくお願いしたい。

委員
 6月からこの会議を設置して本日で第9回目ということで、まとめていただいた。この間いろいろな議論をいただき、そういった意味では我々も非常に勉強になったと思っている。今、事務局から話があったが、この結果については、最終的には会長と副会長と調整をさせていただき、教育委員会に報告をするが、さらに教育委員会で議論を重ねて、教育ビジョン等に反映したいと考えている。本当に長い間いろいろありがとうございました。

会長
 では、これで会議を全部終了する。

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このページは教育委員会事務局 子ども・教育政策課(教)が担当しています。

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