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中野にゆかりのある各界の著名な人たちに、 愛する中野の街について語っていただくコーナー「中野【街】TALK」! あの人の目からは、中野の街はこんな風に見えているのです…!!

スズキコージさん
スズキコージさん
Kohji SUZUKI
(絵本作家・イラストレーター)
1948年2月28日 静岡県浜松市生まれ。中野区在住の61歳。
物心ついた時から絵を描き始めて現在に至る。
創作絵本、画集、漫画、映画や演劇のポスター、舞台装置や衣装、CDジャケット、店の看板やマッチ箱、壁画制作、ライブペインティングを手がけるほか、最近では子どもたちと一緒におめんや旗を作るワークショップや講演会なども行なっている。
代表作に「エンソくんきしゃにのる」(1987年/福音館書店)、「やまのディスコ」(1989年/架空社)、「おばけドライブ」(2004年/ビリケン出版)、「ブラッキンダー」(2009年/イーストプレス)などがある。

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独特の世界感をもつ印象的なイラストと、思わず笑みのこぼれるような温かなストーリーで、子どもはもちろん、大人の心までつかんでしまう絵本作家・スズキコージさん。その活動は絵本だけにとどまらず、ライブペインティングや壁画制作、CDジャケット、舞台美術など幅広い分野に及びます。
それら数々の作品を生み出してきた東中野のアトリエで、幼い頃のこと、作品づくりのこと、そして中野に対する想いなどを伺いました。

(2009年12月 東中野のアトリエにてインタビュー)
鮮明に覚えている子どもの頃。
僕は静岡の浜北(現在の浜松市)というところで育ったんだけど、まだ車も少なかったし、アスファルトの道路もなかった。県道だって砂利道で、車よりも放し飼いの犬がよく走っていたくらい。たまにオリエンタルカレーの宣伝カーがやってくると、子どもたちはみんな待ちきれなくて迎えに行って風船をもらったりしてね。排気ガスが珍しいから、車の排気口に鼻をつけて深呼吸して吸ったりしていましたよ(笑)。
あの頃はガキ大将が必ずいて「遊ぶぞ!」と声がかかると、20人くらい一気に集まって集団で色々な遊びをやりました。僕が小さい頃は絵本なんてまだ全然なかった時代だけど、自然の中、集団で遊ぶことができた。それって大人がまったく介入できない世界なんですよね。子どもたちだけの世界。今考えると、そういった世界を体験できて本当によかったと思います。 自然環境の中でのびのびと過ごしたせいか、幼い頃のことはいまだ鮮明に覚えているんですよ。

(※スズキコージさんが自らの幼少時代を書いた「手のひらのほくろ村」(架空社)には、小さい頃のさまざまなエピソードが描かれており、当時の絵日記も掲載されています。)
絵を描くことは、ご飯を食べるのと同じくらい
僕にとっては当たり前のこと。
絵本作家 スズキコージさん その1
とにかく絵ばっかり描いていましたよ、小さい頃から。
以前NHKのラジオ番組でインタビューされて「僕はおっかさんから生まれて来るときにクレヨンを持って生まれてきたんです。胎盤に絵を描いていました」なんて言っちゃったことがあって、あとで母に怒られたけど(笑)、でもそのくらいずっと絵を描いてきた感覚があります。 僕にとって絵を描くのはご飯を食べるのと同じくらい当たり前のこと。誰かに教えてもらったというのもなくて、気づいたらこうなっていたんです。美術系の大学を出たわけじゃないし、全然アカデミックな部分を通過していないので、どっちかっていうとアカデル(垢がでる)ミックなんて言っているんですけどね(笑)。こうやって60年間自己流で描き続けてこられたことに、非常に幸せを感じますよ。

「芸術家ですね」なんて言われることがあるけれど、僕にとって絵を描くことは、農作物を作るような感覚があって、自分は「生産者」だと思っています。芸術家って自分自身のことで悩んで描けなくなったりすると思うんだけど、僕にはそういったことがまったくない。左右されるのは気象条件や天変地異だけ。絵を描くことは僕にとってそれくらい自然なことなんです。女性が妊娠・出産をするような感覚にも似ているのかもしれませんね。
中野はすごく肌に合う街。
絵本作家 スズキコージさん その2
高校を卒業してすぐ、就職のために上京したんです。当初は赤坂の割烹料理屋で住み込みで働いていました。でも絵ばっかり描いているもんだから結局役に立たなくてね(笑)。その後、東京をあちこちと放浪して現在にいたるという感じです。

この東中野のアトリエはもう20年近くになるかなあ…。住んでいるのも中野区。庶民的なところがすごく肌に合っていますね。中野で飲んだり食べたりすることも多くて、お店で知り合った人たちとごく自然に色々な話ができるし、街でも気さくに声をかけてくれて、中野の人は気取った感じがないでしょう。浅草とかの下町とはまた違った庶民的なよさがあって、肩肘はらず、普段着で暮らせるところがいいですね。
中野っておじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、子ども、赤ちゃん…住んでいる人の年齢層がとても幅広いじゃないですか。いろいろな年齢層の人たちが暮らしていて、みんな街で気軽に声をかけてくれるのが中野のよさだと思うんですよ。これって中野が誇ってもいいことですよね。
僕も日本全国いろいろなところへ行くけれど、中野に帰ってくると心からホッとします。他の街に住んでいた時にはなかった感覚ですね。そのくらい精神的に楽な街ですよ。
とにかく毎日楽しく絵を描いています。
絵本作家 スズキコージさん その3
「かれはふるふる ゆきがふる」の1ページ
12月に福音館書店「こどものとも」から出版された「かれはふるふる ゆきがふる」は、北海道の自然の中を歩いていたときに、僕の頭の中で自然とお経みたいに唱えていたフレーズをタイトルにしたものです。そこに幼い頃冬になるとあたりまえのようにしていた「たき火」や、僕の大好きな消防自動車なんかが加わってくる物語。消防車っていうのは真っ赤だけど、ここに出てくるのは雪の消防団だから白いのね。白い消防自動車って描いてみたかった。

絵の場合は存在しないものでも空想で描けてしまうでしょう。それが僕の得意とするところ。そうやって今まで体験したことや感じたこと、いろいろなことを織り交ぜながら、自分の頭の中にある世界を絵に描くことで、僕は「こうしてみたい」という夢を実現させているんじゃないかと思うんです。

僕が絵を描くのは「生産」だから、もしかして泉が枯れるみたいな現象が起こったら辞めちゃうのかもしれないけど、今のところ描くのが嫌になったり、思い悩んだりしたことがないし、とにかく楽しく、いつも機嫌良く絵を描いています。幸せだよね。絵描きでよかったと思いますよ。
スズキコージさんの活動にについては、公認ホームページ ZUKINGをご覧ください。展覧会や講演会、新刊案内などが掲載されています。
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